Love can move mountain!について
おはようございます。
今日は来月に迫ったLee&Small Mountainsの自主企画イベント、Love can move mountain!について書いてみようと思う。
普段ライブハウスで行われているイベントの多くは、そのライブハウスにいるブッカーという存在が、それぞれバンドやシンガーを呼んで行われていたりします。
それに対して自主企画イベントというのは、企画するバンドやシンガーが、自分たちで、共演するバンドをブッキングして、行われるイベントをさします。
自ずと、そのバンドの音楽的なルーツや、活動の色、今やりたいこと、気にしてることが明確になってきます。
だからこそ、そのバンドやミュージシャンを理解する上で、どんな自主企画をやっているか、どんなバンドをワンマンのゲストに呼んでいるかを見ることは、とても有効な手法だと思ってます。
FUJI ROCKやGREEN ROOM、グラストンベリーだって、ラインアップを見れば、イベンターの気持ちが強く見えてくる訳です。
そんな中、Lee&Small Mountainsは、活動を始めた2009年から3年目の2011年、鼻息を荒くして自主企画イベント"Love can move mountain!"を始めました。
その頃、出演してもらったバンドの中で一番印象に残ってるのは、何と言っても、奇妙礼太郎トラベルスイング楽団でした。
まだ、奇妙さんがどんな顔をしているかもよくわからない時、どこかから流れてきたこの動画だけを頼りに、指を震わせながら買いたてのスマホで、オファーのメールを打ったのを覚えています。
その頃僕は、大学の軽音楽部上がりで、自分達の楽曲や演奏に、無根拠な自信を持っていました。
ただ、mona recordsでこのバンドの演奏、奇妙さんの歌を、共演者として目の当たりにした時、本当に全ての経験が崩れ落ちて、打ちのめされてしまったのです。
同じステージで演奏することでしか感じられないものがある、とその時、痛感したのでした。
自分は、凄い人たちに挑戦してぶつかり稽古をしていかないと、よくなっていかないと。
あの、トラベルスイング楽団が揺らしたmona recordsの小さくも熱い夜が、僕の音楽の始まりだったと言えるくらい、大きな経験でした。
それからは、Love can move mountain!を自分は、Lee&Small Mountainsの勝負の場、血肉だと考えるようになり、
新曲も、そのステージで初めて演奏するようにしてきました。
今まで出演してもらった、曽我部恵一さん、SCOOBIE DO、マウンテン・モカ・マンジャロ、はいからさん、ゲントウキ、Wanna-Gonna、原田茶飯事さん、ランタンパレード、The Wisely Brothers、中村ジョー&イーストウッズ、SHOKA OKUBO BLUES PROJECT、mogsan...
その全ての演奏が、目に耳に、そして心に、特別な熱を帯びて焼き付いてます。
実際、今一緒にLee&Small Mountainsに参加してくれてるメンバーの多くは、このイベントで知り合った人たちです。
そして彼らの音楽が、今の僕を作ったし、一緒に作ってるし、彼らに少しでも影響を与えられるような曲を作って行きたい、シンガーでいたいと思っています。
そして今回、6月23日(土)に出演してもらう、シアターブルック。
フロアから何度も見てきた憧れの人たちですが、
共演者として立ちはだかった時、一体どんな感覚になるのか。
それはやっぱり、その時にしか分からないものだと思うのです。
そして、全部研ぎ澄ました上でその日を迎えたいと思っています。
次回は、もう1組の共演、煌めきのTHE NEATBEATSとの出会いについて話したいと思います!
それから、シアターブルックのことも、別のエントリーでまた書きたいです。
Have a nice day!
今日のBGMはThe AvalanchesのBecause I’m me♪
ファンタジーの始まり
小・中とサッカー部でサッカーをやっていました。
よく監督に、田舎者のサッカーをするな、と怒られていた茨城県水戸の小さな学校の僕たち。
大人になって、色々と感じることがあります。
サッカーだけに限らず、スポーツにはルールというものがあって、基本的にはそれにのっとってプレーをすれば、誰からも文句を言われる筋合いは無い訳です。
キャプテン翼のように、双子でツインシュートを打ったり、全員が自陣にこもって、ゴールを固めてしまってもいい。
でも世の中にはムード、不文律というものがあって、不思議なことに、子供でさえもそれを気にしながら、プレーをすることになります。
ただ、その、ムード・不文律というものが、
プロ選手の基準や、世界のスタンダードから生まれるものであればいいのですが、やっぱりどうしても、自分が所属するコミュニティという規模から発生してしまいます。
さらに、人数が少ない部活であったりすればするほど、外から新しい文化を持ち込もうとする人間は叩かれ易い傾向にあります。
それを協調性、という言葉でくくってしまうのは簡単だけど、
君たちにはもっと広い可能性が広がってる、
ということを監督は言いたかったんだと、
今では思います。
自分は音楽をやってますが、
一人で表現できる領域は、それほど広くないタイプだと思ってます。
だから、自分の足りないところは、存分に誰かに補ってもらって、
頼って、凄い人たちと一緒に、
自分では創造できないような音楽を作りたいんです。
そういう気持ちを持ったミュージシャンや発明家は、どの時代にも多くいたと思うのですが、
その中でも僕が特に好きなのは、キャロル・キングの"Fantasy"というアルバムです。
1973年リリース。
フォークシンガーとして一斉を風靡したキャロル・キングが、
その成功のレールを飛び出してでも、
アフリカン・アメリカンのスタジオミュージシャンと、熱いセッションを繰り広げながら作り上げたとされているアルバムで、1曲1曲に、重みと、きらめき、ソウル音楽への愛が時代を超えて残されています。
こういう巡り合いや、広い精神への憧れが、
1つの作品として残っていく。
それがポピュラー音楽という表現の醍醐味であり、大きな魅力だなと思っています。
Don`t be シニカル
この人が好きで、この人に憧れて、
この人がずっと心配でいる。
ジャック・ペニャーテ。
"こういう場所では、とにかくDon`t be シニカルで、楽しむことが大事"
グラストンベリーか何かのインタビューで彼は言った。
なんかだその時、その言葉は自分に向けられたような気がしたのだ。
思い切り楽しめる音楽こそ、やっぱりそれが一番魅力的だと思う。
それが踊れなくても踊れても、
キャッチーでもキャッチーじゃなくても、
音楽的ルーツがあってもなくても、
とにかく自分が楽しめる一瞬さえあれば、
それが、その人にとっていい音楽だと思う。
もう10年近くアルバムも出してないけど、
いつか彼が日本に来て、そして僕がロンドンに行って、ジョイントライブをしたいなってずっと思ってる。
そのためにも、力を育てていこう。
雲の上
僕は今年の3月、台湾に初めて旅に出た。
旅の最後、台北でレコードが買いたくて、レコード屋さんがあるという、華山1914というエリアに立ち寄った。
まったく予定してなかったのだけど、野外の特設会場で、台湾のバンドを見ることに。
このバンドが本当によかった。(転換のリハーサルがめちゃくちゃ長くて驚いた)
5日も滞在したので、いろいろな場所が思い出に残ってるし、食べ物も美味しかったんだけど、
僕は彼らの演奏や一挙手一投足が一番心に残っている。
ライブをするのが楽しくてしょうがないといった感じが素敵だった。
かっこよかった。
彼らの音楽はいつでも聴けるし、毎日聴いてるし、なんとなくまたどこかの街で、会えるような気がしている。
ジョンかポール
毎日ブログを書きたいなと思って、
やることが全部終わったこの時間にキーボードを叩く。
僕の生活の基本は妻との時間である。
(まだこのブログ上で何て呼べばいいか定まってない。嫁さん。奥さん。ハングルではヨボ。)
お互い好きなことをやりましょう、と言うようなムードのもとの生活であっても、必ず対決する場面が出てくる。
何か些細なことで衝突した時なんかは、彼女がトイレに行ってる間なんかに、山崎まさよしさんのあの名曲をこっそり口ずさんで、心を落ち着かせる。
っそーだってきっったー かんきょーうが ちーがーうからーーあぁ♪
自分も誰かにとって、そんな、生活の中でこっそり歌われる曲を作れたらいいななんてことを、こっそりと思っている。
例えば家族から離れて一人暮らす青年が、風邪を引いて寝込んでいる時、自分を励まし、奮い立たせる用途でLee&Small Mountainsの曲を歌ってくれたら、それは嬉しいだろうなと想像する。
そんなことを思うようになったのもLee&Small Mountainsを始めた時のギタリスト、大鶴くんが(大鶴くんの話はまた書きます)、大風邪を引いてギリギリのラインを池袋のワンルームでさまよっていた時、ポール・マッカートニーの曲を歌って、本気で生気を保ったというエピソードがすごく面白くて、みんなで大笑いしたから。
あの頃僕はジョンが好きだと彼に話してたけど、昨日の朝ビートルズを聴いて、ポールのベースを集中して聴いてたら、やっぱりビートルズにとって、彼が一番大きな存在だったのかもなと今では思う。
そして、今スモールマウンテンズでベースを弾いてくれてるMakkinさんは、もともとギタリストなんですけど、僕はポールみたいで最高のセンスだなと、こっそりではなく、いつも思っている。
ところで、昨日の清丸くんのライブを見て、6月のベースメントバーでの自主企画では、新しい曲を演奏しようと思った。
今日THE NEATBEATSの土佐さんともメールで少し話して、ちょっとずつ。
曲作りのセッションまで、いろいろ音楽を聴こう。
聴いたものはこのブログ、スモールトークでこっそりと話そう。
おやすみなさい。
メイビー
透明少女という聞きなれない言葉。
変人が集まる文学部の中でも特異な日本文学科、の、その中でもかなりクルクルな木村君に誘われるがまま、僕は買って間もないテレキャスターをかき鳴らし、教室をステージに見立てた特設ブースでNumber Girlを歌った。
だけど、全くのダメな演奏に終わり、かなり落ち込んだ。
今思えばただの練習不足なんだけど、何というか、あの曲に皮膚や喉が付いていかず、全然あの人みたいな雰囲気を作れなかった。
他の多くの若者と同じように、僕は完全な自己中心的な発想で、『俺に速いロックは合わない』という意味不明なカテゴライズと結論を出してしまった。練習してないから当たり前なんだけど。
そんな、程よい勘違いを携えて音楽をやっていた大学1年生くらいのとき。
だけど自分の中では、何か内側から燃えてくる情熱のようなものが生まれ始めてる事も感じていたし、同級生や先輩に負けない何かを持ってるような気もしていた。
そんな時、秋の学園祭で、
またまた日本文学科の桑田君に誘われて、
今度はトッド・ラングレンなどの古いポップスを演奏することになった。
リーのやりたい曲、一曲選んでと言われて、何となく選んだのがこの曲。
セイ!イェイ イェイ イェーイ
スタジオでがむしゃらに叫んだ時、
自分の中の音楽に色が付いた感じがした。
例の大いなる勘違い、思い込み力で、ソウル音楽こそ自分の武器になるサウンドだなとすぐに思ってしまったのでした。
そこからは、もう少し音楽が他の遊びより特別なものになってきて、自分の曲を作ってバンドが出来るかも知れないと思うまでにどんどん加速していき、そのまま今日まで。
今日は雨が強くて嫁さんが風邪ひいて早く寝てしまったので、ひとり、何となくそんなことを思い出してました。
季節の空洞の5月は色々、立ち止まって思い出す事が多いような気がします。
明日は、この前安城で対バンした東郷清丸くんのライブを見てきます。楽しみ。おやすみなさい。